商品開発やイベントはもちろん、地域に眠る固有の強みを掘り起こし、地域が元気になる仕掛けをつくるプロジェクト。 

未だその価値が知られていない「優れたリソース」が、どんな地域にも数多く眠っているもの。そうしたリソースの価値を顕在化させ、マネタイズできる仕掛けを作ることで、地域に雇用を生み出し、活性化を目指す。 

と、言っても抽象的だし、言ってみれば当たり前のことなので、以下では具体例としてインバウンド観光産業を例に上げてこの点を解説しよう。 

たとえば、インバウンド観光産業に目を向けると

市場規模がものすごい勢いで拡大しているインバウンド(訪日外国人)をターゲットとした観光産業の掘り起こしは、元手がかからず比較的容易に成果を出しやすい。東京オリンピックを目前に控え、日本を訪れる訪日外国人の数は今現在うなぎのぼりだ。その好機をものにしない手はない。 

ところが、この路線をなんとか形にしようとするとこんな声が必ず聞こえてくる。 

「なんもない」と「こんな辺鄙(不便)なところに」人が来るわけない、と。 

でもその多くは、思い込みにすぎない。 

本当に「なんもない」?

地域の人たちが口を揃えて言う「うちのまちにはなんもないからねえ」の、その「なんもなさ」でさえ、魅力的なコンテンツになりうる。そんな事例はすでにたくさんある。 

地域固有のリソースは、地元の人たちにとりごくごく当たり前の日常に埋もれている。地元の人にとっては、よもやそれが素晴らしいコンテンツだとは夢にも思ってないものだったりする。だが、とりわけインバウンドにとっては、なにもないと言われてきた田舎の風景なり習慣なりが、お金を払ってでも行きたいところだったり、体験してみたいことだったりするから面白い。 

ごくごく当たり前と地元では思われているものの価値を適切に評価し、地域にお金がおちる仕掛けをつくることは、大それたことではないのも事実だ。元手は多くの場合かからない。だって、そうしたコンテンツはすでに存在しているのだから。

「こんな辺鄙(不便)なところに」?

「こんな交通の便も悪くて不便なところに人なんか来やしないよ」

これもまた、頻繁に耳にする。

でもそれは大きな間違いだ。北海道にはまだまだ知られていないコンテンツが数多く眠っている。幸い北海道を訪れる大半のインバウンドは、新千歳空港に降り立つ。彼らが飛行機を降りてまず向かう先は、レンタカー屋。実に90%ほどのインバウンドは車で移動する。それもそのはず、インバウンドだけが使える格安高速乗り放題チケットがあるからだ。公共交通機関を使うのに中国人が多いのは、彼の国は日本で車を運転することが禁止されているから。だから中国人以外の大半のインバウンドは、道内を旅行するのに車なのだ。 

また距離の感覚も日本人とは大きく違う。100kmほどでも比較的近いという感覚。冷静に考えればわかることだが、世界地図を広げて国の面積を見比べてみてほしい。世界を見渡した時、日本は小さな小さな島国なのだ。とりわけ大陸からくる人にとってはそうした感覚が強い。だから、車で長距離移動をものともしない人たちからすると、「辺鄙で遠い」と日本人が言う距離感は、「そんなに遠い?」場合によっては「近所じゃん」となる。 

だから、インバウンドをターゲットにする時、(日本人の感覚でいうところの)不便な立地はあまり関係がない。 

そうなると、やるべきことは、大きく3つだ。 

  1. インバウンドに受ける魅力的なコンテンツを掘り起こすこと(単に景色や食べ物にとどまらず、文化や習慣もコンテンツになりうる)
  2. 必要な情報をインバウンドにわかる言語で届けてあげることと(ネットを活用した情報発信)
  3. インバウンドがいざやってきたときにフォローできる体制を整えること(飲食店の外国人向けメニューづくり等) 

いやいや、そうはいってもけっこう大変だよ。そう思われる方もおおいと思う。だけど、人をうまくつなぐと比較的かんたんに実現できてしまう。そうしたノウハウの話は、ブログ記事で今後、折に触れて解説していこうと思う。

とまあ、たとえばインバウンド観光を狙った地域活性化ネタだとこんな感じだ。

 地域活性化のネタは無限に存在する

地域活性化は、何もインバウンドを通してのみ実現されるわけではなく、ひとつの例にすぎない。教育や福祉といった切り口でも地域資源をうまく活用できるネタはたくさん眠っているはずだ。私たちが重視するミッションのひとつは、そうしたネタを掘り起こし、地域が元気になる仕掛けを地域の人たちと知恵を出し合い共に作り上げていくことだ。 

だから当サイトでは、意識的に、メディア記事(とりわけ、北海道新聞の地方版)をとりあげ、事例を紹介しつつ、長年コンサルタントで養った知見(といっても酔っ払いのたわごと程度のものかもしれないが)簡単な分析を加えている。とりあげているのは、新聞の片隅に小さくのってる記事が多いと思う。

だけど、それには理由がある。 

「へー、あの町ではこんなことやってるのかあ」 

「面白そう」 

「意外とすぐにできそうじゃね?」 

「うちでもできんじゃね?」 

うっかりそんなふうに思っちゃう人が生まれて、「よっしゃ、いっちょやってみるか」という変わり者が一人でも多く出てくることを期待して。 

そんな人たちがいたら、きっと町は楽しくなる。でも、それまでその地域での限られた常識からすると、「新しいこと」をはじめることになるだろうから、当然、奇異の目で見られること請け合い。そういう意味では、奇人変人を量産しようという目論見とも言える。